罵倒の作法 –表現行為としての罵倒とそのレファレンス–

木村悠介

<目次>
 
 
 
 
『罵倒の作法』プロジェクトと本論の趣旨

この世界で今、あらゆる罵倒が飛び交っている。罵倒は、理性や倫理の弾けたところで沸き起こる。怒りや憎しみの一表現形態と目される「罵倒」は、力を持つ側ではなく、弱き者たちの手にこそあるべきだ。理性や倫理の枠外で、表現しなければ生きていけなくなるような機会が人にはあるのだ。しかし、そこには「作法」が必要とされるのではないか。ここでいう弱き者たちとは、いわゆる社会的マイノリティーの人々のみを指すわけではない。個々人の中に潜む弱き声、それらが発する罵倒の言葉に耳を傾け、いかなる形式でそれらに表現の場を与えられるかを問うことが本論を含む『罵倒の作法』プロジェクトの主題である。
本論ではまず罵倒をめぐる今日の状況について述べた後、主に芸術表現における罵倒の様々な形態を見ていくこととする。個別の事例における個別の定義はあるにしても、ここで罵倒とは何かを統一的に定義することに私は意義を感じない。それよりも、それぞれの事例において罵倒がいかに生起し、いかなる性質を持ち、どのような効果をその事例においてもたらしているのかに私の関心はある。しかし私は例えばインターネット上に飛び交う罵倒の言葉を無作為に拾い上げて分析してみようとは思わない。確かにそこには社会学や行動心理学的な意義があるが、ここで私が見極めたいのは、罵倒という表現におけるその突端である。切り開かれたその突端は、我々が通常知覚し得ないものを知覚させ、想起し得ないものを想起させ、思考の新たな展開を可能とさせる。
罵倒には様々な形態が存在するが、罵倒という行為がそれぞれの事例においてその突端を切り開かんとするためには、表現としてのある形式、作法が必要とされる。それは一様ではなく、その罵倒が属する事例に応じて固有の作法が存在する。罵倒とはひとつの行為(act)である。そこに作法という他者もしくは自己に向けての言語動作に関するある形式が加わった時、それはひとつの表現行為(performance)となる。個別の事例における罵倒とその作法を分析することで、罵倒とその作法のレファレンスを作り上げ、罵倒を扱うことの意味を知り、この『罵倒の作法』プロジェクトにおいて求められる罵倒とその作法がいかなるものかを知ることができるだろう。
 
 
情報技術の発展と人々の暴力的振舞いにおける現状認識、及びアートが果たすべき役割

インターネットの匿名性により顕在化した人々の暴力的な振舞いは、今やリアルワールドに影響を及ぼしている。それは一般に他者への寛容を是とする人々の振舞いですら例外ではない。そもそもこのプロジェクトを構想し始めたきっかけは、2010年代前半、東日本大震災以降の主に原発事故を巡る思想や価値観の分断状況が露わになるのとほぼ同時に、日本でのヘイト・スピーチの状況を知ったことにある。それまでインターネット上で飛び交っていた一部の匿名による暴力的振舞いが、とうとうリアル・ワールドに顔を出してきたことに強い衝撃を受けた。その後も、表現の自由を巡る問いや、プロテスト側からの過激な反ヘイト集団の登場、対話の不可能性など、立て続けに様々な問題が立ち上がり、複雑な感覚に囚われるとともに何らかの応答の必要性を感じるようになった。さらにそこに「あいちトリエンナーレ2019」の『表現の不自由展・その後』展を巡る事件が起きた。同展に出品された作品の一部が日本人の尊厳を傷つけるものであるなどとする主張がインターネットを中心に流布し、それに同調する人々による抗議が殺到し、またその中には犯罪予告が含まれたことによって、同展が一時開催中止に追い込まれた事件で、アートに身を置く者にとって非常に身近な場所でもインターネットとリアル・ワールドの境界がすでに大きく崩れていることを思い知らされた。
この状況は日本だけではなく、新たな情報技術の恩恵を受ける世界の至るところで見られるものだ。近年のその最たる表れがアメリカ合衆国におけるトランプ政権(2017-2021)の誕生ということになるだろう。2016年の大統領選挙でドナルド・トランプはインターネット上のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じて真偽を問わない過激な発言を繰り返し、物議を巻き起こし、それによってメディア露出を増加させ、支持者を獲得していくという戦略で大方の予想を裏切り大統領の座を勝ち取った。トランプはその在任期間中もSNSを通じたメディア戦略を突き通し、世界中の政治・経済に多大な影響を及ぼした。様々な批判にもさらされた後の2020年の大統領選挙でも46.86%の得票率を獲得し、51.31%の得票率を得て大統領に選出されたジョー・バイデンに破れ、2期目を迎えることなく退陣することになったものの、その根強い支持はリベラル陣営にとって依然として巨大で不気味な存在感を放っている。
問題は一部のいわゆる過激な保守主義的人々の側にだけあるのではない。他者への寛容を是とするいわゆるリベラルな人々のSNS上での発言においても、排他主義や反リベラルを激しく攻撃し、罵倒する、暴力的な振舞いが見られる。それはリベラリズムにおける排他主義とも言える入れ子構造をとっており、過激な保守主義的人々と相似形を作り、排他主義的主張を肯定するような保守系ニュースサイトが様々な情報を流布するのに対抗するように、リベラル側にも時に攻撃的な言説を発信するリベラル・ニュースサイトが用意され、それらのインターネット・メディアに鼓舞されるように双方の言動は過激化している。それらの「保守 / リベラル」という二項対立に捕らわれずとも、インターネット上でしばしば沸き起こる「炎上」と呼ばれる現象において、人々の言動は過激化し、そこに様々な罵倒が現れる。しかし私の見るところではそれらの罵倒は表現としては稚拙なものであり、そこに作法は見受けられない。とはいえ、このような罵倒がなぜ、いかに生起してきているのかを知ることは、本論とこの『罵倒の作法』プロジェクトにとって有益であろう。
動物行動学者のコンラート・ローレンツ(1903-1989)は『攻撃 —悪の自然誌—』の中で、昆虫類なども含む様々な動物の同種の仲間に対する攻撃やそれに類する行動の実例をつぶさに観察・分析した上で、人間を含む多くの動物にとって種内攻撃性は種の保存、または個体の生存に関わる重要な意味をもっており、それを完全に排除することはできないと主張している。種内攻撃のような本能的な行動様式は、それを引き起こす刺激の限界値が設定されており、その限界値が何らかの理由により極端に下がった場合、種内攻撃性の機能錯誤によって、同じ群れの仲間や自身の子への攻撃に発展することもある。興味深いことに、そのような悲劇的結末を回避するためなのか、多くの動物には攻撃の方向を別の無害な何かに変えて発散させる転位運動と呼ばれるものや、威嚇や攻撃のようなある動作様式が、「系統発生の経過をたどるうちに、もともとあった本来の機能を失って、単に「象徴的」な儀式になる」
1ことで攻撃を無害化することもあるという点である。この儀式を人の社会の中に見出した例としてコンラートは、北アメリカのインディアンたちの文化における和平の象徴であるカルメット(聖なるパイプ)の儀式をあげている。2しかし人の場合、抽象的思索を獲得したことにより、身体の能力を上回る攻撃を可能とする様々な道具を生み出し、その攻撃衝動は戦争や原爆などの壊滅的な結果を生み出すことにも繋がっているとコンラートは指摘している。さしずめ現代のメディア状況をコンラートの主張から照らしてみれば、人がもともと持っている種内攻撃性がインターネットによる急激な刺激の増加によって機能錯誤を起こしていると捉えることもできるだろう。同時にインターネットという新たな環境、行動様式において、まだ転位運動や儀式といった、攻撃欲求を無害化するための方策が調えられていないということも指摘できそうだ。また、情報技術の発展に伴う人々の振舞いを観察した時に想起させられるのは、17世紀の政治哲学者トマス・ホッブスの「万人の万人による闘争状態」という言葉である。ホッブスはその著書『リヴァイアサン』の中で、自然状態においては全ての人は平等に生まれ、あらゆる物を自由にする権利を保持しているが、そのような自然状態において全ての人を畏怖させるような権力が存在しない限り、個々人の中に潜む敵愾心、猜疑心、自負心により、万人が万人を敵とする闘争状態から抜け出すことはできず、そこで人は社会契約により「あらゆる物を自由に扱う権利」を進んで放棄しなければならないとしている。この「万人の万人による闘争状態」は現在のインターネット上における人々の暴力的振舞いを表すのに最適な表現だと思われる。インターネット黎明期にあったあの解放感はそのような「あらゆる物を自由にする権利」を限定的にであるにしろ取り戻したことによるものであったと言えよう。そしてインターネットといういわば未開の地を巡る法整備はリアル・ワールドのそれと比べれば未だその途上にある。インターネット上のある種の自然状態に接することで、人々はあらゆる法や慣習、倫理観によって整備されたリアル・ワールドにおいてもその活動を活性化させる。それが先に見たインターネットとリアル・ワールドの境界の瓦解へと繋がっていると言えるだろう。では、人間の種内攻撃性は排除不能なものであり、また、それぞれの自由を縛る絶対的権力や法から(仮想的にであるにせよ)解放された新たな自然状態における「万人の万人による闘争状態」を現状を形作る根源として捉えるなら、その先にあるものは何か? コンラートのいう転位運動や儀式はいつ、どのように獲得されるのか? もしくはホッブスのいうように、我々の平和への感情と理性の後押しによって、新たに獲得したこの自由は放棄され、新たな権力へと譲渡されるべきなのだろうか?ここで私はアートが果たすべき役割を考えてみたい。アートには、既存の思考や実践、法や権力、理性や倫理に縛られない、オルタナティヴな回答を提示する力があるはずだ。そして私はこの現状を表現の問題として捉え直したいと思っている。表現の自由とは一体何か? それに限度はあるのか? そのような問いが今、度々発せられている。ここで私はあらゆる表現の自由をあくまで擁護しつつ、それとは別の尺度を用意したい。それは振舞いの問題であり、つまりその表現が然るべき作法を有しているかどうかという問題である。そしてまさにその時、アートにはあらゆる表現とその作法の実験場としての役割があり、またその責任を負っていることを知るのであり、人々はそこから様々な表現にまつわる振舞い、作法を学びうるのである。『罵倒の作法』プロジェクト及び本論は、パフォーミング・アーツの文脈を中心とした罵倒の作法の探求を進めていくこととなる。限定された時間と空間、そして言葉と身体という旧来のリアル・ワールドの現実を凝縮した形で、もしくはその断片として取り出してみせることをパフォーミング・アーツはその長い歴史の中で積み重ねてきた。そして新たなメディア状況に合わせて新たな技術を貪欲にその内に取り込み、その状況における新たな表現の可能性を切り開いてきた。では一体、先に見てきたこの新たな情報技術と人々の暴力的な振舞いについての現状の中で、パフォーミング・アーツはどのような新たな表現を提示することができるのか? 本論文を含むこの『罵倒の作法』プロジェクトを通して、その問いに答えていきたいと考えている。
 
1 コンラート・ローレンツ『攻撃 —悪の自然誌—』(1963)、日高敏隆・久保和彦訳 みすず書房(1985)  p.92
2 同書 p.114-116
 
 
 
思想・文学史における罵倒の素描

ここで一度、罵倒が思想・文学史の中でどのように描かれてきたのかを見ていきたい。しかし、罵倒という行為が思想・文学史の中で広く知られる重要な主題として出てきたことは、私の知る限りこれまでにない。そこで、罵倒にまつわるイメージや言葉、その一部に罵倒が描かれた文学作品、それらを繋ぎ合わせながら、罵倒を素描することとする。まず一般に罵倒と聞き、その源泉となる感情と思われているもの、怒りや憎しみといった感情について考えていきたい。
ローマ帝国のストア派の哲学者・セネカ(c. BC1-65)は『怒りについて』の中で、怒りを様々な言葉を用いて定義している。それらを要約すると、怒りとは、他の情念の中でも最もおぞましく凶暴で、理性と敵対し、その座を奪う、ほとばしる悪である。セネカにとって怒りは、「人類にとってどんな悪疫も、これほど高くついたためしはない」
 
3ほど忌避されるべきものであり、人々が時に口にする怒りの有用性をも徹底的に否定してみせる。例えば、自分に害を加えようとする者に対する防衛的「怒り」や戦争・戦闘における意気の高揚のための「怒り」などについても、それらの感情は常に理性の制御下にあらねばならず、理性の制御下にある限りそれらは「怒り」と呼ぶべきではなく、逆に理性の制御下にないとすれば、それは危険極まりない存在でしかない、といった具合に。そして徳高き賢者は理性によって怒りを放逐し、ついには他者の怒りすら癒すことができるという。セネカは『怒りについて』の中で怒りについての様々な理論的検証を行った後、いかに怒りを鎮めることができるかという実践的方法論を展開していくことになるのだが、このように怒りを分析し、それを退けるための対処法を会得せんとする態度は、近年のアンガー・マネジメントの考え方やその実践と重なる部分が非常に多いように思われる。つまりこのような怒りについての態度は古くから現在に至るまで連綿と続いてきた一つの定型であると言える。この定型において、罵倒はもちろん忌避される行為である。
セネカほど徹底したものではないにしろ、怒りや憎しみの感情というものは様々な思想や宗教の中でネガティブに捉えられることが常であり、それらは理性や徳、倫理といった人のあるべき状態に反するものとされてきた。これらの支配的言説に変化がもたらされるのは、やはり情報技術の進化と無縁ではない。15世紀のグーテンベルクによる活版印刷の発明がそれである。16世紀のキリスト教世界における宗教改革もこの発明と普及が多大な役割を果たしていたことはよく知られているし、発達した印刷技術によりそれまでの支配的言説や思考の枠組み、倫理観に収まらない、非主流派の言説も徐々に一般に流布し、時に既存の思想や言説、制度を転覆させることとなった。その中でも特に後の20世紀の思想に大きな影響を与えることになる特異な存在が、マルキ・ド・サド(1740-1814)であろう。セネカが理想としたような絶対的な理性の優位を徹底しつつ、「ほとばしる悪」を体現するような言説を生み出したのがサドであり、その言説は徹頭徹尾、既存の倫理観に対する罵倒であるとすら言える。サドはこの『罵倒の作法』プロジェクトの中でも重要な位置を占めることとなるが、詳しくは別項を設け論じたい。ここではひとまず、サド的罵倒というものが、怒りや憎しみといった感情を源泉としたものではなく、徹頭徹尾理性によって制御され、ひたすらに既存の倫理観を転覆し、悪を為すということの快楽のためだけに遂行されているということを指摘しておきたい。
時代は下るがここでもう一つ、ストア派的なアパテイア(無感動)の境地というよりもエピクロス派のアタラクシア(心の平静)の境地に近い絶対的幸福状態を実現し、怒りや憎しみが完全に放逐された世界を描いたものとして、オルダス・ハクスリー(1894-1963)によるディストピア小説『すばらしい新世界』を挙げることができる。この未来社会の中では、完全な合理主義のもと、人間は工場の培養瓶の中で生産され、階級ごとの条件付け教育が施され、避妊を条件としたフリーセックスが奨励され、あらゆる劇的感情は「ソーマ」と呼ばれる快楽薬の服用により消し去られ、誰も何も不満を持つことがない超安定社会を築いていた。未開社会からやって来た野蛮人ジョンはその社会の中で翻弄されながら、自身の倫理観や感情の正しさを信じるあまり徐々に正気を失い、その未来社会に向かって罵倒の言葉を吐きつけていく。しかし、野蛮人ジョンの吐く罵倒の言葉は完全な合理主義を実現した絶対的幸福社会の強靭さに対していかにも稚拙であり、その罵倒はその社会にいるいかなる人の心にも強く響くことはない。罵倒という観点からここに観察されるのは、失敗した罵倒の姿であり、そこから導かれる野蛮人ジョンの末路、つまり死である。
同じくディストピア小説の金字塔として名高いジョージ・オーウェル(1903-1950)の『1984』は、『すばらしい新世界』とは対照的に苦渋と抑圧に満ちた世界観ではあるが、ここでも印象的なシーンで罵倒が描かれている。それが作中の一党独裁国家オセアニアの党員たちの日課として全員がホールに集められ行われる「二分間憎悪」である。ホールの大きなテレスクリーン(テレビと監視カメラを兼ねた装置)にオセアニアを統治するビッグ・ブラザーの政敵であるエマニュエル・ゴールドスタインが現れ、ビック・ブラザーを罵倒し、党の独裁を否認し、敵国との即時講和条約締結を要求し、言論の自由、集会の自由、思想の自由を唱導する。その映像を見ると党員たちはなぜか自動的に心が乱れ、怒りと憎しみに溢れ、あらん限りの罵倒の言葉を画面に向かって放出することとなるのだ。その強制力は、現体制に疑問を持つ主人公ウィンストン・スミスにも例外なく働く。ここに見られるのは、人の理性を覆い尽くす権力の姿であり、その罵倒の作法は、日課として繰り返され、怒りや憎しみをその身体に刻み込むという、教育・訓練的手法によって得られる。そしてそのような作法により引き出されるのは、強制され、自動化され、ただあらゆる感情を消費するためだけに遂行される罵倒である。そして、もしこの「二分間憎悪」における罵倒を何らかの方法で拒絶した場合にその者に待ち受けているものは何かと言えば、それはやはり死である。絶対的権力はそのような逸脱者を見逃しはしないのだ。
『すばらしい新世界』と『1984』という二つのディストピア小説の中で、罵倒と死が隣接して描かれていることに、注意を払いたい。両者の罵倒はその質としては大きく異るにも関わらず、なぜそれらが共通して死の傍らに描かれるのだろうか? それも、位置的に言って死の手前に罵倒が置かれているのである。後ほど検討することになるエウリピデスのギリシア悲劇『イオン』においても、罵倒はそれを遂行する者の死を覚悟させるものとして描かれる。このことについてはより詳細に掘り下げるべき点ではあるが、今後の『罵倒の作法』プロジェクトの中でこの問いを展開していきたいと思う。
 
3 セネカ『怒りについて』(41)、『怒りについて 他二篇』兼利琢也訳 岩波文庫(2008) p.89
 
 
 
ペーター・ハントケ『観客罵倒』における罵倒
パフォーミング・アーツの文脈において、罵倒について参照すべきものはまずもってオーストリア出身の劇作家・小説家ペーター・ハントケ(1942-)の『観客罵倒』である。ハントケの処女戯曲である『観客罵倒』はクラウス・パイマン(1937-)の演出により1966年にフランクフルトで第一回実験演劇祭(Experimenta 1)の演目として初演された。戯曲には4人の話し手とあるだけで台詞も割り振られず、筋書きもなく、観客に向けられた言葉を延々と語り続けるこの作品は、初演ではジーンズにシャツなどの衣装をまとった4人の男性の俳優が時に別々に時に同時に発話しながら上演された。そのタイトルやコンセプトからいかにも60年代的な過激さや激しく観客を挑発する作品と思われるかもしれないが、幸運なことに現在でも視聴することのできる初演の映像を見ると全体的に俳優たちは穏やかに、時に観客に対して友好的とも見える笑顔を浮かべながら、淡々と演じており、ストイックかつ観客を飽きさせない様々な発話や動きのヴァリエーションにより演出されている。それよりも攻撃的と言えるのはどちらかと言えば観客の反応の方であり、様々なヤジや舞台への乱入など、この歴史的な舞台表現に対する当時のリアルな応答が見受けられ、非常に興味深い。
ハントケは『観客罵倒』の作中後半部に「あなた達が罵倒されるのは、罵倒だってあなた達に話しかける方法のひとつだから。」
4という台詞を書き、罵倒することで、触れ合い、火花を飛ばし、演技空間を破壊し、壁を取り払い、他者をよく見ることができる、とした。はたしてこの戯曲において、この言葉をどれほど真に受けていいものかは定かではない。しかし、これほどまでに罵倒が肯定的に明示されたことは、いまだかつてなかったであろうことは確かであり、この『罵倒の作法』プロジェクトにとって重要な一つの罵倒の捉え方とその効能として特筆に値する。
もう一点指摘しておくべきことは、上記の罵倒についての台詞の後、それまで使われていたドイツ語の敬称の二人称(Sie)ではなく、これからは親称の二人称(単数 Du・複数 Ihr) を使うことが宣言され、そこから加速度的に罵り言葉が繰り出されていくということである。日本語で言えば、二人称の「あなた」から「お前」への変化ということになるだろうが、ドイツ語圏では初対面や目上の人には敬称の二人称を使う関係から始まり、どちらかからの親称の二人称を使うことの提案が行われた後に親称の二人称を使い始めるという言語習慣的作法があり、ここでもその作法に則って親称の二人称への移行が行われている。これは一見奇妙なことのように思える。『観客罵倒』というタイトルの作品を観に来た観客はある程度、過激な言葉を浴びせられるであろうことは予測して来るだろうし、戯曲内にもそのような観客を想定していることが伺える。実際、初演時の映像ではまだ舞台に俳優が入ってきて間もない時間からすでに舞台上へのヤジが飛んでいる。これは観客たちが普通の劇を楽しみに来ているのではなく、ある種のハプニング、パフォーマンス的なものへの参加を期待して来ていたことの証と言えるだろう。
「くそったれ」という台詞から始まるアルフレッド・ジャリ(1873-1907)の戯曲『ユビュ王』の1896年パリでの初演や1910年代のイタリア・未来派に始まる初期パフォーマンス・アートでは既存の観客と作品の安定した関係を覆し、時に騒乱に発展するほどの観客への挑発や観客のパフォーマンスへの介入が行われていた。未来派の夜会の観客たちは「野菜や卵を投げつけ、そしてクラクション、カウベルや警笛、管楽器、玩具のガラガラや垂れ幕を持ち込」
5む程度には、あらかじめその夜会で行われることを知っており、ある意味で受け入れ、準備をして劇場に赴いたのである。『観客罵倒』というタイトルから、観客たちがこれら初期パフォーマンス・アートの匂いを予め嗅ぎつけていたことは想像に難くない。
それにも関わらず、敬称の二人称を用いながら観客に向けて「ようこそ」と語りかけること、劇後半になってやっと、しかし律儀にも宣言を行ってから親称の二人称を使い、罵り言葉を並べ立てていくというこの劇構造。ここにはハントケの罵倒の戦略があったと見ていいだろう。そもそもこの戯曲の最初に提示された「演じ手のための規則」では、カトリック教会で連祷を聞く、サッカー場で歓声と罵声を聞く、集会のシュプレヒコールを聞く、ローリング・ストーンズの「Tell me」を聞く、ビートルズの映画を見る、など合わせて17項目の規則を実行することになっている。はたしてこの戯曲を上演する俳優たちがこれをどれほど真面目に実行に移すか、また本当にその必要があるのかは大いに疑問だが、これらの規則が全て「〜を聞く / 〜を見る」という形式に統一されていることには注目していいだろう。ここで俳優は何らかの行動や物事の能動的主体としてではなく、受動的な主体/身体でいることが求められている。これは劇中に何度か繰り返される、あなた(達)がテーマだ、という台詞と呼応している。観客に向けて延々と繰り出され続ける言葉、そして罵倒は、俳優の能動的主体性を際立たせるためのものではなく、あくまで観客の主体性・能動性を引き出す、もしくは自覚させるためのものであるということができるだろう。この作品では俳優の罵倒の主体性や能動性は限りなく薄められ、ちょうど池の水に波紋を浮かび上がらせるための石のような働きをもって、罵倒は観客に投げ込まれている。
ハントケの『観客罵倒』における罵倒の作法をまとめると、その罵倒は他者に話しかける方法の一つとして規定され、その目的は他者と触れ合い、火花を飛ばし、演技空間を破壊し、壁を取り払い、他者をよく見ることである。そしてこうした罵倒を可能たらしめる作法として、罵倒を感情と結びつけるのではなく、俳優はしゃべる機械となるようその能動的主体性を抑え込み、その直接的罵倒は観客に予告され、その理由まで開示される。そのような罵倒は観客それぞれに主体的・能動的な行動や内省を促す。初演の映像を見る限り、この『観客罵倒』における罵倒の目論見は観客の様々な反応(ヤジ、そのヤジを支援するような拍手、舞台への乱入など)を引き起こしている点から言って、概ね成功していると言えよう。評価の分かれる点として注目すべきは、直接的な罵倒の言葉が増加するに従って、客席からのヤジは止み、観客はその罵倒を受け入れ、楽しむようになっていくように見て取れる点だ。これはこの上演の帰結点として十分機能していると思えるが、同時に表面的には観客が劇に対して受動的なものとなってしまったとも考えられるものであり、はたしてそれがハントケの望んだ帰結点なのかは定かではない。しかし、受け入れるという行為はそれ自体が選択されたものであれば、主体的・能動的な行為と取ることができる。この作品の受容において観客の当事者性は極めて重要であり、そこから切り離された作品の映像はあくまで上演のドキュメントとして捉えるべきものである。そのため、その絶対的評価を映像に映るパフォーマンスや観客の反応だけから論ずることは困難である。
一方で現在、そして日本で、この戯曲の上演によって、作品が目論むパフォーマンスと観客との関係や観客にもたらさんとする変化が実現できるかという点は甚だ疑問である。それは『観客罵倒』が現代演劇における歴史的作品として評価が定まっていることがもたらすある種の先入観や、観客が予めこの作品の目論見を知っていることによる反応の変質、本作に限らず上演中に表立った個人的反応を表現することを避ける日本の現代演劇を鑑賞する人々が持つ慣習など、様々な要因が考えられる。しかしながら、この戯曲と初演時の上演記録映像から読み取り、引き出しうる事項は極めて豊かにあり、『罵倒の作法』プロジェクトにおいてそれらを応用した実践へ繋げていくことができるだろう。
『観客罵倒』については他に、様々な共通する問題意識と全く異なる作品の方向性を持つ寺山修司(1935-1983)の『観客席』(1978)との比較という論点もありうるだろうが、それは主に演劇における観客論を問うていくこととなるため、本論の取り扱うべき領域をいささかはみ出るものであると考え、ここでは検討せず今後の研究における課題にしたい。
 
4 Peter Handke “Publikumsbeschimpfung” Suhrkamp (2008) p. 43(引用は筆者による拙訳)
5クレア・ビショップ『人工地獄』(2012)、大森俊克訳 フィルムアート社(2016) p.84
 
 
 
ギリシア悲劇 1 —パレーシア劇『イオン』における罵倒—
ここで一気に時代を遡り、ギリシア悲劇における罵倒について見ていきたい。ここでは紀元前410年代に上演されたと推定されるエウリピデス(c. BC480-c. BC406)の悲劇『イオン』を、まずミッシェル・フーコー(1926-1984)の『真理とディスクール —パレーシア講義—』の該当箇所に沿って紐解いていく。フーコーはこの『イオン』を、この講義録で取り扱われている概念「パレーシア」の問題を解明する上で重要な作品として捉えていた。パレーシアとは、古代ギリシア語で「包み隠さず話すこと」を意味し、フーコーによれば「パレーシアとは、発言者が真理との個人的な関係を表明し、他者や自分を改善し、援助するために真理を語る義務があると考えて真理を語ることで、自分の生命を危険にさらす言語活動」であり、「パレーシアでは、話し手は自分の自由を行使し、説得よりも率直さを選び、偽りや沈黙よりも真理を選び、生命や安全性よりも死のリスクを選び、おべっかよりも批判を選び、自分の利益や道徳的な無関心よりも道徳的な義務を選ぶ」6としている。要約するとフーコーにとってのパレーシアとは、他者や自分のために自分が知る真理を語り、自分の生命を危険にさらす言語活動、ということになるだろう。そのため、パレーシアを行使する者は必然的に身分や立場の低い者でなくてはならず、同時にパレーシアを行使するに値する率直さを持った者でなくてはならない。また拷問によって強制的に真実を語らされた場合はパレーシアとは認められず、あくまで自ら進んで身を危険にさらすような場合でなければならない。
このパレーシアと罵倒が重なり合う地点にあるのがこの『イオン』におけるクレウサのアポロン糾弾の場面である。まず『イオン』のあらすじを説明すると、孤児でアポロン神殿に仕える主人公・イオンのもとに、一人の女・クレウサがやってきて、友人がかつてアポロンと寝てできてしまった赤ん坊をやむを得ず捨ててしまったそうなのだが、その子供の生死を、アポロンに聞くことはできないかと問うが、イオンは「神様が、隠したいと思っておられることを、どうしてお告げになるでしょうか。」
7と言って諦めるよう諭す。実際、クレウサの呼び掛けにアポロンが答えることはなく、クレウサは怒りを感じるが、そこにクレウサの夫クストスが遅れてやってくる。クストスはクレウサとともにアポロンに、クレウサとの間にこれまで子供ができなかったので今後子供ができるかどうかの託宣を授かりに来たのだ。そしてクストス一人が神殿の中に入り託宣を授かる。そこで授かった託宣は、クストスが神殿から出た時に最初に出会った者が自分の血を分けた子供だ、というものであった。そして、クストスが神殿から出るとそこにはイオンがおり、クストスはイオンを実の息子であると確信し、イオンも渋々ながらそれに納得をする。そして従者からその顛末を伝え知ったクレウサは怒りに震え、アポロンを糾弾する。実はクレウサが友人の話としていたのは自分自身のことで、クレウサはかつてアポロンに誘惑もしくは強姦され、子供を孕み、見捨ててしまったのだった。アポロンがその捨て子の生死に答えることもなく、アテナイに戻ればクレウサとは血の繋がらないクストスの息子を迎えねばならぬことを悟り、憤慨し、従者たちに全てを暴露し、アポロンに向かって罵倒の言葉を吐きつける。しかし、このクレウサの告白と罵倒の言葉にもアポロンは答えることはない。最終的にアポロンの許しにより馳せ参じたアテナによって、実はイオンはクストスの子供ではなく、クレウサが見捨ててしまったアポロンとの間にできた子供だったということが告げられ、物語は大団円を迎えることとなる。
フーコーはこのクレウサの告白と罵倒の場面を「政治的なパレーシアではなく、個人的なパレーシア」であり、「クレウサのパレーシアは、自分よりも強い権力をもった人物にたいする正直な告発として、自分自身についての真実を告白するものとして語られる」
8としている。一方で、本来真実を語るはずの神・アポロンはクストスに嘘の託宣を授け、劇の終わりに際しても終始沈黙し、隠れたままである。アポロンはここではパレーシアステ―ス(パレーシアを行使する者)の反対に位置する存在であり、フーコーは「真理を語るのは誰か?」という問題において、真理は「神々が人間に語る」ものではなくなり、「人間が人間に語る」ものとなったとし、『イオン』をパレーシア劇として定義している。9
さて、このクレウサのパレーシアは、自身の真理の告白とアポロンに向けての罵倒を合わせた形で行使されるが、ここでの罵倒はいかなる役割を果たしているだろうか? 罵倒はただ怒りの感情に任せた付随的な行為であろうか? フーコーは別の箇所で、パレーシアはつねに「真理を語る者と、真理を聞く者の「ゲーム」」という性格があると述べている。10 つまり弱き者が強き者に真理を語るこのパレーシアという行為は、自分の身を危険にさらし、時には生きるか、死ぬかの「ゲーム」としての性格があるということだ。その意味において、クレウサの罵倒は自分の身をさらに危険にさらすという掛け金を支払うことで、クレウサのパレーシアステ―スとしての資格を強化し、より真理に近付かんとする行為であったと言える。
またここでの罵倒は、クレウサという女性からの、そして神であるアポロンからの強姦の被害者という、弱き者からの罵倒であるという点を改めて強調しておきたい。そしてこの罵倒は神からの報復を覚悟し、自身の傷を他者にさらす行為であり、その生をかけた罵倒である。その罵倒は終始沈黙を保つアポロンの態度を変えることには繋がらなかったが、結果としてクレウサは探し求めていた自分の子供がイオンであるという真理に辿り着くことになる。ただし、そのような結果はこのパレーシア的罵倒にとって二次的なものであり、例えこのパレーシア的罵倒が失敗に終わったとしても、クレウサのパレーシアステ―スとしての資格を損なうものではない。問題はこの生のゲームの中でどのように振舞うかであり、フーコーがその晩年で語った「生存の美学」、いかにその生を一つの美しい作品として構成するかを打ち立てることである。
 
6 ミッシェル・フーコー『真理とディスクール —パレーシア講義—』(2001)、中山元訳 筑摩書房(2002) p.22
7 エウリピデス『イオン』(c. BC410)、『ギリシア悲劇 III —エウリピデス(上)—』松本克己訳 ちくま文庫(1986) p.563-564
8 ミッシェル・フーコー 前掲書 p.82
9 同書 p.49-50
10同書 p.18
 
 
 
ギリシア悲劇 2  —罵倒の作法の共有—
ギリシア悲劇には『イオン』の他にも様々な作品で罵倒が描かれているが、ここでもう一点指摘しておくべきは、ギリシア悲劇は古代ギリシアの都市国家アテナイにおいて市民劇としての側面があったことである。西洋古典学者の久保正彰が試算した数字によると、悲劇以外の演目も含む一回のディオニソス演劇祭挙行のために総数2千名前後の市民が芝居関係者として参加していたことになり、ここに他の演劇祭も含めると「ローテーション・システムで十年もすれば、成年男子人口の半数以上が、演劇上演になんらかの資格で参加したことになる」11
アテナイの市民(成人男性)にとってギリシア悲劇を鑑賞することはもちろん、コロスとしてそれに参加することは名誉なことだった。一つの作品につき最大50人のコロスが市民の中から持ち回り式で平等に選ばれ、その任に当たる。コロスは主要な3人の俳優が演じる登場人物たちの語れなかった思いや秘密などを語り、劇と観客の間を仲介する。
市民がコロスを演じるということはこの都市国家(ポリス)にとってどのような意味を持っていただろうか? 一つには、ポリスの市民たちに共同体としての帰属意識を高めるということがあるが、もう一つはこのポリスのあるべき市民としての教養、素養、振舞いを教育するという機能があったと考えられないだろうか。例えば『イオン』において、コロスはクレウサの従者としての役割を与えられているが、これは本来コロスとしての資格を持たない奴隷たちの役割を演じることになる。そして女性であり、強姦の被害者であるクレウサの側に一貫して立つこのコロス達はクレウサとともに嘆き、神であるアポロンへの罵倒こそしないものの、その下僕であり、クレウサを不幸に誘ったイオンには罵倒の言葉を投げかけ、イオンを毒殺しようとしたクレウサをかくまおうとさえする。一見これはポリス内の秩序の維持に反する振舞いに思われるが、パレーシアステースであるクレウサの側に立ち、それを守ろうとすることはポリスのあるべき市民の振舞いとして合致する。そしてそのような従者たちの姿をコロスとして演じることにより、コロスを演じる一般市民たちは自身のあるべき姿を学び、また、不合理な運命に対する悲しみや怒りといった感情をいかに表現するかを学ぶこととなるのだ。
上記のことから、ギリシア悲劇はある感情や思いをいかなる形式で表現するかという作法を人々が修練し、共有するための装置だったと考えられる。ポリスにおける多くの人が参加し、誇りとするギリシア悲劇の上演形態は単なる娯楽、マス・メディア、情報伝達の手段以上の意味を有していたのであり、それが人々に与える影響力は計り知れない。ここには近年のソーシャル・エンゲージド・アートの原型とも呼べるものが社会制度として確立されていたのである。
個別の事例における個別の罵倒の作法がある中で、それを共有するための手立てもそれに応じて変わってくるものと考えられるが、これはパフォーミング・アーツという芸術表現を通して罵倒の作法を人々と共有するための一つのモデルとして非常に重要である。『罵倒の作法』プロジェクトにおいては、この事例を参照しつつ、罵倒の作法をいかに人々と共有するかという命題にも取り組む予定である。
 
11 『ギリシア悲劇全集 別巻』岩波書店(1992) 久保正彰「ギリシア悲劇とその時代」p.23
 
 
 
サドの罵倒

検討する事例の最後に、ここでサドにおける罵倒に目を向けてみたい。一見した所、サドの描く悪徳の求道者たちは時折口にする罵り言葉を除いては、いささかも罵倒しはしない。そこにあるのは自分や他の者が行った悪についての賛美の言葉と、美徳や既存の倫理観や道徳的慣習、宗教を唾棄すべきものとし、悪徳と快楽の正当性を称揚する彼ら独特の理論の開陳である。快楽以外の情動は周到に排除され、時に美徳への憎しみを口にすることがあるとは言え、それらは彼らの理性によって悪徳の賛美へとすぐに取って代えられる。そこには罵倒の源泉となると目されるような激しい怒りや憎しみの感情は存在せず、過剰なまでの暴力の行使に際しても、悪徳を為すことの快楽の追求という以外のいかなる感情も存在しない。にも関わらず、サドのうちに罵倒を見出すのは、その作品それ自体、その作品を構成する言説それ自体が、既存の倫理観や道徳的慣習、宗教への罵倒として規定されるからである。
ハントケの『観客罵倒』の初演がそうであったように、罵倒は必ずしも激しい怒りや憎しみといった感情を必要としない。そしてサドにおける罵倒を規定するとすれば、それは既存の境界を破壊せんと外部に向けられた言語的暴力性の発露である。ここでいう外部とは、単にサド作品の読者を含む他者のみを指すわけではない。作品を取り囲むあらゆる美徳、既存の倫理観、道徳的慣習、そして宗教といったものの総体に対して、その言説の暴力性をもって破壊を仕掛けているのだ。例えしばしば物語の最後に悪徳の求道者たちの改心が描かれたとしても、それは十全なる暴力性の発露による破壊の試みの後にやってくるのであって、当局の監視の目を眩ませる意味以外のものは何もない。フランス文学・西洋哲学の研究者である鈴木球子は以下のように指摘する。「暴力的でエロチックな語は、ある言語社会の枠組みにおいて、その社会の成員が共有しているだろう言葉の意味体系にショックを与え、侵犯することができるのだ。暴力的でエロチックな言葉の役割は、それが意味するものではなく、それが侵犯することである。」
12しかし、サドの言語的暴力性は、単に暴力的でエロチックな言葉の使用によってのみもたらされるわけではない。美徳や既存の倫理観、道徳的慣習、そして宗教を貶め、悪徳を称揚するその論理展開のうちにおいて、そして実行に移された悪徳のその描写のうちにおいて、サドの言語的暴力性は威力を発揮する。それは既存の構築物を破壊し、逆転した別の構築物を組み立てる。ただしこの新たな構築物のその理論的精密さや堅牢さは、サドにとってほとんど問題ではない。重要なのは既存の構築物を徹底的に破壊することであり、その破壊によってもたらされる快楽を享受することなのである。サドが描く悪徳の求道者たちは一様にその被害者たちより強い立場にあるが、作品そのものは当局からの監視の目に晒されており、実際その作品の過激さからサドは投獄されもしている。フーコーの論を拡張して使用するなら、サドはその身を危険にさらしつつ、自身の中の真理を語ろうとしていたという点において、そこにパレーシア的な性質を見いだせなくもないだろう。ただし、サドが展開する悪徳の論理やその暴力描写にサド自身どれほどの真理性を求めていたか定かではない。そのような真理への希求よりも破壊の快楽が優先されているように思える点は、サドの非パレーシアステ―ス的な点を示している。
 
12 鈴木珠子『サドのエクリチュールと哲学、そして身体』水声社(2016) p.73
 
 
 
弱き者たちの罵倒

本論の最後に、罵倒という方法でしか表現の術をもたない弱き者たちにとっての罵倒の意味を考えてみよう。ガヤトリ・C・スピヴァグ(1942-)は『サバルタンは語ることができるか』(1988)の中でフーコーやジル・ドゥルーズ(1925-1995)を批判しながら、一方でインドの寡婦殉死の慣習を詳細に検討し、サバルタンの語りの不可能性を示した。サバルタンとは、この世界に流通する言説に何らかの理由でアクセスが制限されていたり拒否されており、自らの言説を発信する術を持たない従属的社会集団のことである。スピヴァグが例に挙げているところで言えば、それは「読み書きのできない農民たち、部族民、そして都市のサブプロレタリアートのなかの最下層に属する男たちと女たち」13であり、また例えば、「もしあなたが貧乏人で、黒人で、そして女性であれば、あなたはサバルタンであるとの規定を三様のしかたで手に入れることになる」14。被抑圧者たるサバルタンの言葉に耳が傾けられるのは、彼らが抑圧者側の言語を使って話す場合に限られている。スピヴァグはそのようなサバルタンに対して語りを要求することや、彼らの言葉を代弁しようとすることを強く戒めている。そしてスピヴァグはジャック・デリダ(1930-2004)の言葉を引用しながら、「デリダが「他者(たち)に自分で語らせる」ことをもとめず、むしろ、「まったき他者」(自己をうち固めるための他者とは対立する関係にあるものとしての tout-antre)への「呼びかけ」をおこなって、「わたしたちのなかの他者の声である内なる声にうわ言をいわせる」ことをもとめている」15のを評価している。ここでデリダのいう「うわ言」を「罵倒」に置き換えてみることもできるだろうが、罵倒がここで果たしうるものはそれ以上のものであると私は考えている。罵倒とは、理性や倫理の弾けたところで沸き起こるものであり、スピヴァグが指摘するところの抑圧者側の言語空間の枠に収まらない、もしくはその枠を破壊する言語活動である。であるならば、サバルタンは自らの感情や意志、思考の断片を罵倒という形で発することは可能ではないだろうか? サバルタンの問題は決してある特定の社会集団に限定した話ではなく、政治思想家の李静和が提起するように「内なるサバルタン」16に出会うということを通して全ての人が抱え持つ問題となる。「内なるサバルタン」とは、他者を知ることの不可能性を認識するあまり、他者を語ること自体を自ら封じ、作り上げられた内なる言語空間である。そしてここでも、罵倒という形でその内なるサバルタンの声を発することができるのではないかと、私は提起したい。しかし、これはヘイト・スピーチを容認することでは一切ない。罵倒が単なる言語的暴力に陥らないための作法を我々は見つけなければならない。それはこれまで見てきた通り一様ではない。しかし、本論でその一端を見てきたように、アートの領域で様々に試行されている罵倒をつぶさに見ていくことは、我々の罵倒の作法の習得の助けとなるだろう。それと同時に、他者からの罵倒をどのように受け止め、それがどのような作法を有しているかを見極めることで、その他者をより知ることに繋げることができるだろう。弱き者たちとは、サバルタンや内なるサバルタンだけではなく、個々人の中の内なる部分も含んだ通常の言語空間の中で抑圧されたものたちのことであり、普段は言葉を与えられていないものたちの集合体である。弱き者たちを理性や既存の倫理などのコードで抑え込み続けるのではなく、適切な作法に基づいてそれらを弾けさせ、弱き者たちの罵倒に表現の場を与えることが、人には時に必要になるのである。そして、それらの声に耳を傾け、これまでとは異なる思考や行動様式への移行の契機とし、自分自身の生の在り方を捉え直す機会を見出すことが、弱き者たちとの関係を築いていくことに繋がっていくのである。
 
13 ガヤトリ・C・スピヴァグ『サバルタンは語ることができるか』(1988)、上村忠男訳 みすず書房(1998)p.36
14 同書 p.72
15 同書 p.70
16 李静和『求めの政治学 —言葉・這い舞う島—』岩波書店(2004) p.30
コメント欄を読み込み中